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なるべくラクして毎日楽しく生きたい自分の「人生の行動原則5箇条」をまとめてみた。

こんにちは。

なんと渋谷の部屋を先輩と2人で借りることになり

先日申し込みに行きました。

(先輩:加藤さん。30代。

一応接点が生まれたきっかけは仕事繋がりだったけど

その後は仕事で関わることはほとんどなくて

プライベートで関わっている。

素敵な先輩なのでみんなにも紹介したいです。)

一緒に部屋を借りるくらい

自分の生き方とか考え方とかを

気に入ってもらえているのですが(ありがたい限りです。)

申込みが終わった後

渋谷の筋肉食堂で食べながら話していまして

「つる君は何を考えながら生きているの?」

と改めて聞かれました。

話しているうちに整理できたので

ブログにも書いておこうと思います。

ポイントは5つ。

  1. 「気になるなあ」と思ったらそれだけでやってみるのに十分な理由であると考える
  2. 他人の評価を気にせずやりたいことをやる
  3. 自分が何を求めているか正確に理解する
  4. 喜怒哀楽の喜楽を増やし怒哀を減らす方向で動く
  5. 過程に重きを置かずとにかく求めている結果に注目する

です。

それぞれ詳しく解説していこうと思います。

「気になるなあ」と思ったらそれだけでやってみるのに十分な理由であると考える・他人の評価を気にせずやりたいことをやる

まず最初は

「気になるなあ」と思ったらそれだけでやってみるのに十分な理由であると考える
他人の評価を気にせずやりたいことをやる

について。

この二つは以下の記事で以前詳しく解説しているので見てみてください。

「やってみたいけどバエないからできない」人、他人の人生を生きすぎ説久しぶりにブログを書いています。 個人的には、日々生きていて 「やりたいことはやればいいし やりたくないことはやらなきゃい...

自分が何を求めているか正確に理解する

何か物事ひとつとっても

より分解して考えてみると

「正確には自分が何を求めているか」

が改めて分かったりするので

これが大事です。

例えば些細なことだと

お皿に関しては

「ただご飯が置ければいいだけなのか」

「それとも食器はおしゃれなデザインのものを使いたいと思っているのか」

で自分の求めているものが変わってきます。

そして「面倒くさいから皿洗いしたくない」

と言う考えが出てきたときに

「自分は食器はおしゃれなデザインのものを使いたい」

という考えであれば

食器を揃えた上でお金かかるけど家事代行を頼むか

もしくは妥協して多少は家事をやることを受け入れて

食洗機を使うといった解決策が出てきます。

しかし「自分はただご飯が置ければいいだけ」

という考えであれば

使うものを全部紙コップと紙皿にしてしまえば

それで解決です。

紙コップと紙皿であれば使ったら捨てるだけなので

食洗機よりもっと楽ですよね。

値段も1年間フルで紙コップと紙皿使っても

3000円ぐらいしかかからないだろうしね。

こういった小さな話から

仕事など大きな話まで

「正確には自分は何を求めているのか?」がわかれば

より適切な打ち手が見えてくることがあります。

人によって「譲れないもの」「逆にどうでもいいもの」は違います。

自分にとって「譲れないもの」は大切にしたほうがいいですが

「逆にどうでもいいもの」は惰性でなんとなーく合格点取ろうとするのではなくて

思い切ってどんどん切り捨てにいったほうがいいです。

(見た目がオシャレじゃなくても食器を全部紙皿紙コップにするように。)

そうしたら自分にとって譲れないもの(食器洗うのめんどくさすぎてやりたくない!!とか)を

よりラクに解決できる打ち手が見えてくることが多いです。

喜怒哀楽の喜楽を増やし怒哀を減らす方向で動く

すごく当たり前だと思うのですけど

人生は喜楽多いほどよくて

怒哀は少ないほど良いと思うんですよね。

だからこれを意識して

「喜楽を増やすにはどうすればいいか?」

「逆に怒哀を減らすにはどうすればいいか?」

を原則として動くようにしています。

※「人生には怒哀も必要だ」という考えについて

確かに必要だとは思います。

だけどわざわざ自分から増やしにいかなくても良くないですか?

普通に生きているだけでも人生で大変なこと、

悲しいことや怒るようなことってたまに襲いかかってくるし。

怒哀をなるべく避けるように生きている自分でも

親に200万貸したりとかFXで150万溶かしたりとか

15年生きた愛猫との別れとか大変なことって降り掛かってきたし、

自分はそういう避けられない怒哀だけでもうお腹いっぱいです。

自分からわざわざ怒哀を増やすほど余裕ない感じですね。

ゲームなら慣れたら舐めプできるから

わざわざ縛りプレイしたほうが

手ごたえがあって楽しかったりするけど

人生はムズいから舐めプしてる場合じゃないと思うのです。

過程に重きを置かずとにかく求めている結果に注目する

「喜怒哀楽の喜楽を増やし怒哀を減らす方向で動く」

という考えともつながってきますが

以前こんな内容のツイートを見かけました。

「ほとんどの動物はより苦労してエサを手に入れたときほど

快楽物質が出るようになっているが

猫だけは違う。苦労してもしなくてもエサが手に入れば

快楽物質は変わらず

猫はなるべく楽しようとするらしくてクソワロタ。」

みたいな内容です。

その後調べてみたのですけどいまいちソースが見つからなかったので

もしかしたらこの内容は嘘かも。

でもこれが嘘だったとしてもいいんですよ。

要は「このネコチャンみたいな考え方をしよう」

ということですね。

(大好きだったモカちゃん。)

自分の求めているものがより楽に手に入るなら

そっちを選んだ方がいいです。

(※苦労を絶対に避けるという話ではないです。)

欲しいものがある時に

手に入れるためには苦労しなきゃいけない場合には

頑張って乗り越える必要があります。

しかし欲しい物が苦労せず手に入ることも

生きていればたまにあります。

どうも「欲しい結果は必ず苦労しないと手に入らない」

と思い込んでしまっている人が多くて

本当はラクに手に入るときでも

遠回りしてわざわざ苦労しに行ってる人も多かったりします。

ちなみにこの

「人は途中で苦労を挟まないといけないという思い込みにかかっている」

に気づいたのはかなり早く、自分が小学2年生の時です。

月に1回全校集会があって

合唱コンクールの思い出とか運動会の思い出とか

指名で皆の前で喋らされる生徒がいました。

そういう時にいきなり

「みんなでまとまって歌えて良かったです。」と言うのではなく

必ず「最初はなかなかまとまらなくて大変だったけど

最終的にはクラスで団結できてよかったです。」

といった大変だったパートをみんな挟むことに気がつきました。

この時に逆張りオタクだった自分は

「ほんまかいな。実は大変じゃなかった場合でも

惰性で途中に大変だったエピソードを盛り込むのが癖になっていないか?」

「後から『途中は大変だったなあ』と苦労エピソードを

自分の頭の中に捏造していないか?」

と感じていたのです。

(もちろん当時は小2なので言葉はもうちょっと幼稚でしたが。)

もちろん望むもののレベルが高いほど手に入ることが難しいことが多く

結果として苦労が必要になってくることが大半ではありますが

よーく見てみるとわざわざ苦労しなくても

実はおいしい思いをできるものが時々存在します。

そういう時にわざわざ自分から苦労ポイントを探しに行くのではなく

素直にサクッと欲しいものを手に入れるのが大事になってくるかなと。

わざわざ途中に苦労を挟まないと

手に入れた実感を得られない人は

結局アドレナリン中毒なのだと思います。

アドレナリン中毒だとせっかく価値あるものを手に入れたとしても

苦労せずに手に入れた場合

「ひょっとしてこれは価値がないものなんじゃないか…?」

と判断を見誤って手放してしまったりするので

本当に本末転倒ですよね。

「途中どれだけ苦労したか?」

で手に入れたものの評価を変えてしまうのではなく

「これはとても良いもの」

「これはそこそこいいもの」

「これは別にいらないもの」

というフラットな目線で見れることが大事です。

そしてもし同じ結果をより楽に手に入れられる方法があると気付いたなら

それを遠慮なく堂々とやりに行くことが大事です。

『神話の法則』というテンプレートもある通り

映画や漫画はサクッと終わっちゃうとつまらないし

売れないので

盛り上げるためにどうしても苦労するパートを混ぜ込まないといけない都合がありますが

自分の人生は別に映画や漫画じゃないので

サクッと手に入るものはサクッと手に入れちゃっていいのです。

欲しいものを手に入れるまでたった2ページで終わっちゃってもOKなのです。

まとめ

という感じでまとめてみました。

改めて5つ書いておくとこんな感じです。

  1. 「気になるなあ」と思ったらそれだけでやってみるのに十分な理由であると考える
  2. 他人の評価を気にせずやりたいことをやる
  3. 自分が何を求めているか正確に理解する
  4. 喜怒哀楽の喜楽を増やし怒哀を減らす方向で動く
  5. 過程に重きを置かずとにかく求めている結果に注目する

自分の日々の方針がだいぶ整理できました。

読んでなにか感想あればぜひDM送ってください。

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